木の椅子に新たな可能性を
職人とデザイナー、13年間の挑戦
わたしたちがその椅子に強く惹かれた理由は、無垢材を自由自在に操るかのような曲線の面白さでした。とくに脚のデザインは個性的で、一本の無垢材が途中で枝分かれして、片方は背もたれに、もう片方はアームへと自然に繋がっていく。シームレスな構造は、なんとなくエッシャーのだまし絵を見ているようで、思わず指で始点から終点までを辿ってみたくなります。
製作しているのは、徳島県で代々家具作りを営む工場。面積の4分の3を森林が占め、古くから木工産地として栄えてきた自然豊かな町で、60年にわたって木の家具を生み出してきました。創業以来、ブランドのOEMや特注家具など、多様なプロダクトの製作で鍛えられた技術力を誇り、高いモチベーションでものづくりを行う職人集団です。
同社がこの椅子と出会ったのは2004年、東京で開催された新進のプロダクトデザイナーによる個展でした。デザインを気に入って製品化に名乗りを上げたものの、当時の技術では量産が難しいという判断で断念したのだそうです。課題となったのは、デザインの肝である脚部の曲げ木です。一本の無垢材を二方向に曲げる「分岐曲げ」という前例のない手法。一脚だけつくるのであれば、技術的に不可能ではありません。しかし、製品化・安定生産となれば、かなりの手間と時間、そして大きなコストが必須。そのため、いったんは断念することに。しかし、完全に諦めたわけではありませんでした。その後、数年にわたって曲げ木の技術を磨き、研究に研究を重ねた同社は2017年、ついに製品化を実現するのです。実に、最初の出会いから13年後のことでした。
日本屈指の曲げ木技術を、新たな領域へ
この椅子の製作に費やした年月は、同社の「曲げ木」研究の歴史でもありました。曲げ木とは、厚みのある木材をしなやかにカーブさせて美しい曲線を表現する加工技術。椅子の背もたれなどによく使われる技術です。製材された真っ直ぐな無垢の板を100℃の蒸気で熱し、専用の機械で両側から折りたたむように力をかけると、柔らかくなった板が型に沿って半円に曲がっていく。目の前でその様子を見ても、どうしてこんなに分厚い木が曲がるのかと不思議になりますが、厚いものでは60ミリもの板を曲げられるというから驚きです。板の蒸し時間は厚みや樹種によってある程度決められていますが、必ず職人の目で板を見てその都度判断するそう。一つひとつ異なる木質を見極めて微調整しなければ、割れてしまうことがあるためです。「板を持った瞬間に、あ、これは割れるなというのがわかります。木の芯に近い部分は詰まってる(密度が高い)し、皮の近くになればその逆。だから同じ材料、同じ寸法の板でも重さが違うんですよ。密度が低い部分の板は、やはり割れやすくなります」。
こうして着実に曲げ木の経験を積み重ね、日本でも屈指の技術を誇るようになった同社は、満を持して製品化へと動き出します。それでもこの前例のない「分岐曲げ」が実現するまでは、試行錯誤の連続だったといいます。「それまで、木を曲げるということを学問的に学んだことなんてなかった。どうして木が曲がるのか?木を曲げるとはどういうことなのか?嫌でも勉強することになりましたね」。
脚の分離する位置や曲げの角度が少しでも合わなければ、分岐点からすぐに亀裂が走ってしまう難しい構造。片方だけにストレスがかかるのを避けるには、どの数値が最適か?木の性質や構造力学の研究を行いながら、何度も試作を重ねました。さらに厄介だったのは、一度曲げるともとには戻せないという木の性質です。曲げ木は、木の内部にある樹脂分に熱をかけて軟化させることで加工しやすくするのですが、一度圧縮された木を無理やり戻しても形が安定せず、言うことを聞かないのだそう。そのため、加工は常に一発勝負です。組み上げてみてわずかに角度を変える必要があったとしても、別の板で一からやり直すしかない。しかも4つの脚をすべて同じ条件でつくれなければ、椅子として安定はしません。試作は困難を極めましたが、その度に細かくデータをとり、「これならいけそうだ」と予測を立てては、デザイナーに図面の修正を依頼。試作と調整を幾度となく繰り返し、ようやく納得のいく形が完成しました。
18ミリの細い材で、50ミリと同等の強さに
一本の無垢材に切れ目を入れて途中で分岐させ、それぞれを別方向に曲げるという構造は、デザインと機能という観点においても合理的かつ新鮮なものでした。デザインとしては「枝分かれ」がつくるシームレスで有機的なフォルム、そして機能面では、「三角構造」による高い強度です。実は、脚部の木材は厚さ18ミリと、椅子としてはかなりスリムな形状。ここまでの細さながら、十分過ぎるほどの強度を保つことができた秘密は、まさに分岐曲げによってつくり出される三角構造にありました。三角構造とは建築物によく採用される構造形式で、たとえば柱と梁という縦×横の垂直構造に筋交いやブレースと呼ばれる部材を斜めに入れることで、三角形を形成するもの。四角形に比べて安定性が増し、垂直方向からの力に対して格段に強度が上がるといいます。体育館やドームといった天井の高い大空間や、橋梁などの多くに三角構造が採用されているのもその強さゆえ。この椅子では、分岐して二方向へと枝分かれした2本の脚が座枠や背もたれと繋がり、それぞれが柱と筋交いの役割を果たす三角構造に。結果、強さは実際の材積を大きく上回り、わずか18ミリの脚で50ミリ厚の木材と同等の強度を実現しています。
出会いから足かけ13年という年月を経て生まれた、一脚の椅子。その長いストーリーは、ひとつのデザインが職人の心に火を灯したことから始まりました。つくり手たちが互いに切磋琢磨しながら新たな技術を切り拓き、また磨いていく。デザインと機能を追求した日本のものづくりは、こうして連綿と続けられてきたのだと実感させられます。